11.15


■余談

何ヶ月ぶりかに実家帰り。うまいものタラフク食ったよ。お腹いっぱい

■アマゾンの感想が増えたヽ(´ー`)ノ

しかも、すごいためになる感想だったのでメモっておくよ。
実際問題として、自分としては取材した内容をどうコンパクトにまとめるかが
精いっぱいなのです。人がどう感じるか、どこを大事に思うかというのは
実際に人に聞いてみないと分からないので、感想を聞いてああなるほどなあ
と思うことが多いです。本当は大きいストーリーを自分の中で作って
そこにあてはめていくような作りもしたいんだけど、それは今後の課題ですな。
しかし、この世は基本的にドロドロしているから、あらゆる創作作品は
そういったドロドロをどんなに排除しようとしても、そこから
絶対に逃れられないというのは感じますねー。

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子供番組でさえも大人の世界のケガレからは逃れられない、
という現実に気付かせてくれる。, 2005/11/14
レビュアー: ゴリー・ポッター (プロフィールを見る)   兵庫県 Japan

所謂「墓暴き」的な関心で手に取ると肩透かしをくらう本だと思う。特に「怪奇大作戦
の欠番作品については結局何故封印に至ったか、という核心に迫れなかったという点で
取材としては失敗であると言えるだろう。
しかし正にそこの部分にこそ、この本の存在意義があるとも思う。
何故なら、本来子供向けとして作られた番組も制作しているのは大人であり、綺麗言では
済まされない複雑な事情が絡み合った大人の世界がその背後に存在しているという事実を
浮き彫りにしているからである。

例えば「同じようなきわどい内容の作品を放送したとしても、子供番組専門のA社なら
クレームや圧力のために作品の存在自体を闇に葬らねばならないのに、B社ならそうな
らないのは何故なのか?A社が仮に時代劇や仁侠ものにまで手を拡げていたとしたら、
そういった外圧に対し別の対処の仕方があったのだろうか?」といったことを私は考
えてしまった。そして改めて子供番組というジャンルの特異さ(表面的には「教育的」
な仮面を被りつつ、常に「暴力による問題解決の常態化」とでも言うべきパターンを
再生産する)について考えてしまった。そこでは常に「子供を大人の世界のケガレか
ら切り離そう」という力と「子供にも社会的現実(=大人の世界のケガレ)を学ばせ
よう」という力のせめぎ合いが見てとれる。私はそこに極めて教育社会学的に多くの
示唆が含まれているのでは、と思った。

あとは「昔のテレビ・映画は今よりもずっとアナーキーでやりたい放題だったんだな」
というメディア論的な切り口でも読めるのだが、それに関するこの本の射程はあまり
広くない。というのも現代のメディア論における「インターネット/公共放送の二極化」
という点についてあまり意識されていないから。封印されたはずの「闇」がネットによ
って掘り起こされ共有されるというマッチポンプ的な図式について更に注目すればその
辺の深みも出たかも知れない。

結局は、テレビという最も日常的なメディアでさえその裏側には我々庶民には想像もつ
かないパワーゲームやコンフリクトが存在し、一見無邪気な「子供番組」でさえそれと
無関係に存在することは出来ないという事実を垣間見せてくれる本である。ただ、この
次にこの著者がそういったアプローチを更に一歩進めることが出来るかと言うと、正直
疑問なのだけれど。

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■黒田さんのカメラが気になる
http://www.kunaicho.go.jp/sayako/sayako-gokinkyo-1.html
調べてみたら、下の写真の左から、
ツァイス・イコン コンタレックスⅠ型
コダック メダリスト
デュカティ・ソニョ(http://www.hayatacamera.co.jp/about/photo200406.html
フォクトレンダー プロミネントⅡ型
らしい。割とメジャーどころだな。ドイツ製が多い