5.08
■実家でエレキングの創刊号が見つかった
デリックメイのインタビューが面白かったので抜粋します。
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俺たちにとって影響といったら本当に、クラフトワークとYMOしかなかった。
それは音楽を作る理由というより、生きる糧みたいなもんだったろうね
(略)
そういえば最近、YMOのリミックスってのを聴いたよ。
古い曲をシェイメンなんかにリミックスさせたやつ。これがひどかった。
YMOみたいな本物が、こんなことでクソになっちまうなんてバカげている。
俺がそのプロジェクトを知っていれば喜んで仕事をしたのに。
ホアン・アトキンスだって、ほかの大勢の優れたテクノ・ミュージシャンだって、
きっと喜んでやったのに。なんで YMOのリミックスなんて、
そんなすごいチャンスを、クソみたいな連中がモノにするのかな?悲しいよ。
10年前のYMOのファンがあれを聴いたら怒るぜ。あんなの、YMOに聴こえない。
なぁ、わかるだろ?
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インタビュアーは、数年前にYMOを思い切りバカにしてた野田努でした。
デトロイト・テクノ至上主義者の野田はこのときどんな顔をしてたのかと思うと
おかしくてしょうがない。
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シド・ヴィシャスが死んだ'79年、僕は中学2年生であったが、その
前年にデビューしたYMOの人畜無害なフュージョンには、
ついに一銭も払ったことはない。(スタジオボイス92年12月号)
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